理事長挨拶

2016年 小さな一歩を大切に

あけましておめでとうございます。

本年が、世界中の子どもにとって、学び続ける保護者や教職員にとって、
そして成長を支える学校や地域にとって、実りのある一年になることを祈っています。
どうぞよろしくお願いします。



「少数派」のひとりとして、
ダイバーシティという現実を活かす。

「地域住民」としてグローバルな時代を楽しむ。

そして
「弱いところも、強いところもある人間」として、
インクルーシブな社会で生きたい。

今年も、小さな一歩を大切にして
一緒に進みませんか。


日本学校心理学会理事長

石隈利紀

理事長挨拶

日本学校心理学会 理事長
石隈利紀(筑波大学心理学系教授)

日本学校心理学会のホームページにようこそいらっしゃいました。本学会は、一人ひとりの子どもに対する心理教育的援助サービスの充実および学校心理学の発展をめざして、1999年11月23日に「日本学校心理学研究会」として設立されました。そして、2003年8月に「日本学校心理学会」として新たな一歩を踏み出しました。現在、学校心理学の実践や研究に意欲的に取り組む、幼稚園・小学校・中学校・高校・養護学校などの教師、養護教諭、学校の管理職、塾の教師、専門学校の教師、大学の教師、障害のある子どもへの援助者、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、心の教室相談員、国・各自治体や民間機関の相談員、教育行政の担当者、医師、保護者の方、研究者など他方面の方々が入会されています。

本学会は、研修会、ニュースレター、「学校心理学研究」を通して、心理教育的援助サービスに関わる会員相互の学習や実践・研究成果の発信を行っています。そして互いの実践・研究の成果を共有を通して、お互いが持っている力と可能性に気付き、子どもの成長をチームとして支えることをめざしています。

今学校が変わろうとしています。「みんなが資源、みんなで支援」を合い言葉に、日本学校心理学会でご一緒に交流しましょう。

2012 初春

Number 1 より Only One
人とつながる Only One
みんなが資源 みんなで支援

日常生活を積みかさねながら、
新しい社会をつくっていく

新しい社会をつくるのは子どもと大人のつながり
新しい明日をつくるのは人と人のつながり

危機の共有・・・みんなが当事者として
責任の共有・・・自分にできることをやろう
希望の共有・・・すべての人に未来はくる

今年もよろしくお願いします。

日本学校心理学会理事長
日本学校心理士会会長・「東日本大震災子ども学校支援チーム」コーディネーター

石隈利紀

日本学校心理学研究会 設立記念講演(1999/11/23)

日本における学校心理学の展望
-心理教育的援助サービスの充実をめざして-

筑波大学心理学系助教授 石隈利紀

◇祝辞に応えて

 よろしくお願いします。今日は日本学校心理学研究会の設立に際しまして、日本における学校心理学の展望について1時間ばかりお話させていただきたいと思います。先程3人の先生方にお祝辞、後援のお言葉をいただきました。福沢周亮先生からは「教育心理学と教育実践の架け橋」の重要性について言っていただきました。どうしても学会に行くと年配の偉い先生方と若い学者の卵という雰囲気があるんですが、教育心理学会では最近小・中・高の先生やスクールカウンセラーが増えてきました。学校心理学が実践者と実践を支える研究者との一つの架け橋になれるといいと思います。次に、下司昌一先生が役に立つ理論の必要性と学校心理学への期待を言って下さいました。これからの、「実践を支える理論」というのは役に立たないと何もならないと思うんですね。これは理論をつくる人間としてはとっても不安なことなんです。従来研究論文を世に問うときは、それを発表して「立派だね」と言ってもらって自分でも立派だと思ったらそれで終わるんですけど、役に立つかどうかは使ってみてもらわないと分からないんです。皆さんとご一緒に、学校心理学あるいは援助サービスのシステムを、使いながらつくっていき、つくりながらまた中身を確かめていきたいと思います。最後に佐藤敏さんから「とことん心理学」という学校心理学のニックネームを今日、頂戴いたしました。とことん子どもの援助に責任を持つ、これは私のカウンセリングの師匠の一人である、アルバート=エリスという論理療法の先生が、「気分を良くすることを援助するんじゃなくて、その人が実際によくなることを援助するんだ」としょっちゅう言っていました。その日、「勉強したくない」って言う子どもが「勉強しなくてもいいんだよ」って気分が良くなったらそれでその日は楽になるかも分からないけど、それで解決する場合もあるし、解決しない場合もある、これに学校心理学はこだわるんです。無理して勉強させるっていう意味でもないんです。でもどうして勉強しないのかなとか、ほっといていいのかなってこちら側が悩み続けないとその子が情緒的にふっとして楽になったらこちらも一緒に楽になってしまって眠ってしまったら終わりじゃないかと思うんです。とことん、しつこく相手がどうなってるかなっていうことに関心を持ち続けるっていうところが大事なところでそれが佐藤さんから言っていただいたことかなと思います。私は3人の先生方のお話を聞いてすごくほんとにありがたいなと思っております。

◇私の人生

支えられて、支えられて

 さて私は「学校心理学」の本を書いているときに、私の親友である東京都立足立西高校の大野精一さんがですね、ご自分の本を書いたときを参考にして「石隈さん、後書きを書くところになったら楽しく書けるから、そこまでが苦労だよ」って言われました。でも後書きを書く段になってふと思い出してみれば、私はアメリカに足かけ9年いました。日本に帰って10年も経ちましたから本当に多くの人にお世話になってきました。学校心理学の構築に関しても、この日本学校心理学研究会の23人の仲間やそれから教育心理学会の先生方やそれから学校教育相談の仲間やそれから神奈川県の障害児教育の仲間にたくさんお世話になっていますので、きちんと御礼を言って皆さんに失礼があっちゃいけないと思うものですから、とても後書きはエネルギーを使いました。それでもほんとに限られたごく一部の人にしか謝辞が述べられなかったんです。 その後書きの一番最初に書きましたが、私は二十代の頃家庭教師をしていました。私は実は大学では落ちこぼれでありまして、大学はとにかくつまんない。勉強もつまんない。当時、気管支喘息という持病がきつかったので、朝起きにくいっていう大義名分があるんですね。起きる気になれば起きるんですけども。昼間はぶらぶらしておりまして夜になると家庭教師先に行くわけですが、そうすると子どもが待ってくれてるんですね。そこで子どもと約2時間、家庭教師の1セッション、約2時間をどう過ごすかっていうのが、私の20代の人生だったんです。家庭教師が、私のアイデンティティだったのです。2時間はどうつくってもいいんです。その代わり2時間をどう使ったかということはスポンサーである親に説明しなきゃいけないんです。成績としても、学校の様子も結果として出るんです。それはすぐ良くなるかどうかかは分かりません。それも説明しなきゃいけない。この2時間っていうのは私にとってとっても楽しい時間です。家庭教師だけは自信があって、3歳の子どもさんの英語のレッスンから20代の方の公務員試験の準備まで家庭教師を務めましたけども。その2時間の中で、その日の子どもの気持ちの安定の度合いで一緒に遊んだりしながら、勉強のお手伝いをしました。ただお母さんがコーヒーや夜食のラーメンを持って来られたときには一緒に机についておこうねっていう暗黙の了解を子どもとしておりました。クビになっては困りますので、工夫してやっておりました。いまだに当時家庭教師で教えてた子どもが全国に何人もいまして、ときたま会います。そういうその子の状況に応じて特に勉強のことと友達のことと暮らしのことを現実的にサポートするという家庭教師が私は学校心理学の原点だったんじゃないかなと思います。

私のアメリカ時代

 その後、大学をぶらぶらした後、一時会社に就職してそれから塾の先生をやって、それからアメリカに行ったんです。ほんとうにアメリカの勉強は楽しかったです。というのは20代、私ほとんど勉強してなかったので、好奇心とか向学心の薪が使われずに残ってたんですね。使われなくて乾いた薪っていうのは火がつくとボーっと広がるものですから、30代になると本当に勉強が楽しくて、特に教育心理学という分野、子ども達とどう一緒に楽しく学ぶかという分野が楽しくて、興奮しながら勉強しました。アメリカでは、日本語を教えたり、大学の助手をしたりして暮らしていました。 さてアメリカではスクールサイコロジストという専門職があります。だいたい地域の教育委員会、教育庁みたいなところで雇われるんですね。これは教育職なんです。教師ではなく、教師と対等の教育職として、スクールカウンセラーとかソーシャルワーカーとかいろいろな職種があって、その中の一つがスクールサイコロジストです。これは主にアメリカで言えば小学校に多い形で中学校はスクールカウンセラー、ガイダンスカウンセラーという形でどういう科目を履修するかとか、将来の進路とか、心理的な問題とかっていうのをやっていて今はスクールカウンセラーは小学校にいます。スクールサイコロジストはだいたい小学校型で、勉強のことや友達のことで困ったときにどうするかというのを担任の先生と保護者と一緒にチームで援助するという。その中で障害のありなしや程度に応じて個別の援助をやっていくのです。今は、中学や高校で働くスクールサイコロジストもいます。 私は最後はカリフォルニア州のサンディエゴの近郊にある学校でスクールサイコロジスト(インターン)の仕事をしたり、サンディエゴ州立大学でスクールサイコロジストを養成する大学院の講師をつとめました。そこでスクールサイコロジストとして子ども達と関わりました。小学生ですからね、「今のあなたのお気持ちは?」なんて聞いても、なかなか進みませんので、指人形を使ったり、ゲームをしたり、取っ組み合いをしながらその子の情緒の安定度や勉強の得意不得意とか、子どもが苦戦している状況を理解しながら、しょっちゅう保護者や担任の先生とは会って、子どもの援助をしていきます。だから学校心理学にとってチームでやるというのは理想じゃなくて現実なんですね。チームでやんないとできっこないというのが現実です。日本もこの辺が不登校への援助、それからLD等の子どもへの援助ということで、チーム支援がかなり現実的に最近なってきたように思っていいことだと思いますが、現実的にそれをどうしていくかっていうことはこれからだと思います。

「日本の学校心理学」との出会い

 それからスクールサイコロジストの仕事をやってて日本に帰ろうかどうかという、こうまあチャンスがあったときにアメリカでいろんな仕事をしてきたいなという気持ちと日本に帰って仕事がしたいなという気持ちが半々あって、幸い日本に帰って来れました。幸いというのはほんとに幸いで、アメリカは新しいプログラムをつくって素晴らしい国なんですけども、お金がなくなるとなくなったなりにする国なんですね。私が日本に1990年に帰って来たんですけど、その次の年、アメリカのカリフォルニア州はものすごく貧乏になりまして、私のようななりたての大学の教員はほとんどクビになりまして、他の大学に移りました。これは日本では学校の先生、大学を含めて、なるとある程度日本は保証してもらえるというところが有り難いことなんですけど。私は、日本に帰ってきて、最初に周りを見回したときにスクールサイコロジーと言ってもあまり通じないし、ほんとに日本にはそういうところがないんじゃないかと、私はとっても不安になりました。それから日本で仕事をしてくなかで、日本の学校心理学の活動と言えるもの3つに出会いました。 第一に学校教育相談です。先ほどお話してくださった佐藤さんが編集長をされている「月刊学校教育相談」という本と出会いました。アメリカではスクールサイコロジストという援助サービスの専門家がやっているけれども、日本では学校の先生、特に担任や教育相談担当の先生、あるいは養護教諭の先生が、アメリカではスクールサイコロジストがやっているようないろいろな悩みの相談やサポートをやっているということが、いいとか悪いとかじゃなくて、現実として歴史としてあるんですね。それが、この学校教育相談の雑誌や大野精一さんの論文や本を通して分かりました。また、学校教育相談の研修会に出させていただく中で、あっこういう人達はスクールサイコロジストのような仕事をしてらっしゃるんだな、でもスクールサイコロジストは教師とは別のところにいてやってるんですけど、日本の場合には先程福沢先生がおっしゃったように教科の授業をやりながらとか担任をやりながらとかそういういわば指導サービスの中で援助をうまく盛り込んでやってらっしゃるだなと思いました。これは大変難しくまた魅力的で複雑であり、ここに日本の今後の心理教育的援助サービスを考える大きな基盤があるなということを感じました。 第二に障害児教育です。私は日本に帰ってすぐ神奈川県の第二教育センターというところに呼んでいただきまして、個別の教育計画を書くために子どもの情報を理解してアセスメントして計画を立てることのできる、個別教育指導教員養成講座を当時の神奈川県の教育委員会の障害児教育課課長の横山先生を中心に立ち上げました。そのときから障害児教育担当の先生とご一緒するうちに、障害児教育は、ほんとにその子が数を数えるとか人とコミュニケーションをとるという、サバイバルスキルというか、生きていくための力を指導しながら、その中でその子の生き方とか意志決定とか気持ちの問題を支える援助サービスを組み合わせる、非常に厳しい、個に応じたサービスの歴史や現実や可能性を見ました。しかしそれは実は、やってらっしゃる先生方にとっても実際かなり厳しい課題なので、学校教育相談もそうですけど、必ずしも理想的に行われているわけではなく、もっともっと援助サービスという視点や個に応じた視点というのを付け加えていく必要性があるんだなと感じました。従って日本の心理教育的援助サービスには、授業、部活動、ホームルーム、保健室や相談室の活動も含まれると思います。 第三に教育相談所などの相談活動です。教育相談所等で研修のお手伝いをするうちに、教育相談所で働いているいろんな相談員の方やカウンセラーの方がアメリカでのスクールサイコロジストのような働きをしてらっしゃることを知りました。発達の援助や障害児の援助や心理的な葛藤の援助や家族の援助など、教育相談所の中だけでもほんとに幅広いんですね。ですからその辺のところがやはり学校心理学の日本における活動の重要な部分かなという気がします。 ということで私はアメリカでスクールサイコロジストとして働いて日本に帰ってきたんですけど、日本には学校心理学が目指している心理教育的援助サービスは、学校の先生の相談活動が中心になり、もう長い歴史があるんだ、存在するんだというのが分かりました。

学生相談

 私の日本に帰って長い間の生活のもとであったのが学生相談について話します。私は、長いことどちらかというと小学生や中学生と、遊んだり勉強したり、保護者や担任の先生とお話し合いをしたりしてきました。だから、学生相談を本格的に始めたのは、1990年の9月に日本に帰ってきて学生相談室のカウンセラーに赴任してからです。私は、一番最初に援助した女の子のことを今でも忘れません。学生相談室ではだいたい第一と第三の月曜日の午前中はケースカンファレンスと言って新しく相談に来た学生達について情報を、心理のカウンセラー3人、精神科医2名と事務官の方や看護婦さんとで話し合いをするんです。9月の最初その話し合いをしている途中で飛び入りっていうか、予約なしに一人の学生さんが相談に飛び込んできまして、私まだ赴任して一日目か二日目だったんですけど、私の上司から「石隈君、君が行きなさい」ということで、相談を始めました。私はどう言っていいのか分からないんでけど、とにかく「あー今日は。石隈です」。向こうはもうボロボロ泣いているわけですね。一時間前にどうも彼氏からお前は嫌いだと言われたそうなんですけど、泣いてて「いやー、大変ですね」。大変なのは分かってるんですけど。ということで、学生相談をほんとに私はできるんだろうかという苦しい時期がありましたけども、やっていくうちに学生相談はやはり「大学における教育相談」ではないかと思うようになりました。学生相談は、青年を育てるという部分が非常に大きくて、中心的な課題は学業であったり進路・生き方であったり友達関係であるんです。私がスクールサイコロジストとしてトレーニングを受けたとことは日本での学生相談に使えるんだなというとがよく分かってきました。ただ足りないところもあります。それは、これは教育相談と言っても高校の先生もご経験があるかと思いますが、精神疾患にからむ学生さんや境界線ぎりぎりの学生さんが相談室を訪れます。従ってカウンセラーとしては精神疾患を積極的に治療するということは難しいと思いますが、このケースはカウンセラーとしては十分援助できないので精神科医の先生と一緒にやった方がいいとか、あまりカウンセラーが頑張り過ぎてはいけないのかっていうところの、いわゆる見立てができないと学生相談はできないんですね。アメリカのスクールサイコロジーのトレーニングの中では精神疾患への援助という部分は多くはなかったんですけれども、私は幸い基本的なトレーニングを受けておりましたし、経験もありましたので、まあかなり勉強もしながらですけども、そういう精神疾患のある生徒さん達にもお付き合いできました。それでお付き合いする中でどうも私がやっていることには、精神疾患の人の治療を得意とするセラピストの強さとは違った強さがあるなということが分かってきました。精神疾患はやはり精神科医の先生方にかなり頼るんですけど、私達カウンセラー、これは学校の先生方もそうですけど、精神疾患は治せないかもわからないけども、精神疾患ゆえに学校生活で起こりうるハンディキャップや社会的不利益を減らす援助はたくさんできるんですね。学校の先生にもできますし、カウンセラーにもできます。だからその子の耐えうるストレスやその子がパニックになったときのお付き合いの仕方とかを知っている。大学生であれば困ったときには学生相談に駆け込んで来るとかいくつかの対処法を勧める、これは学生相談の仲間が今、“とまり木”と言ってますけど、一人の精神疾患の人と深く深く付き合って治療するというよりは、その人の一つの”とまり木”になって、その人が学生生活を無事に送れればいいというのが、まさに学校心理学の考え方です。その子の、例えば発達障害の部分でも精神疾患の部分でも治すことは学校だけではかなり限界があります。でもそのことで損をしているのを減らすことは、学級担任の先生の教育相談や学校経営あるいはスクールカウンセラーの仕事の中でやれるところがたくさんあるということを、学生相談の中で体験しました。

◇日本の学校教育における課題

子どもの発達の個人差と大人の苦戦

 日本に帰ってきて思ったのは、不登校の子どもが増えてきて、それから障害も多様化してきて、子どもたち随分苦戦しているんだなということです。私のところに小学校6年生と1年生の息子がいます。私は、週に1回ぐらいは自分の家で研究したり原稿書いたりする時間があるのですが、そうすると近所の1年生の子ども達が家にやって来ます。だいたい2グループに分かれまして、1グループはファミコングループですね。もう一つのグループはファミコンではなくてロボットグループで、おもちゃで遊びます。私の子は幼い方でロボットグループです。この辺を見ているとほんとに子ども達1年生は発達の段階の個性も様々だなという気がして、その一人ひとりの子ども達へ援助する大人もなかなか難しいという気がします。まあいろいろな方も言われてますし、私の直感でしかないんですけど、縦の関係が難しくなったなという気がします。横の関係がじゃあ上手になったかというと、日本はそんなに個人主義で横がきっちり対等ではないんですけども。大人と子どもの上下関係っていうのはなかなかうまくいってないようです。よその子どもに「遊んだ後は片づけようね」って言うと「いや」とかって言われますね。「まあそう言うなよ」ってごまかしながら後片付けをやってもらったりとかするんですけど。上下関係っていうと何でも悪いみたいですけど、なんか上手な権威というか、お互いを大事にする指導関係みたいなものを工夫していくなかで、子どもも大人も人間関係の苦戦を活かしていけるといいなと思います。 現在学校教育の危機が叫ばれたり学校崩壊が叫ばれたりしているんですが、学校の外にいる人間が学校についてしゃべる言葉は、自分の意見とたまたま見た学校の様子の2つで全部を一般化しているように私には見えます。いろんな評論家の意見を聞くと賛成する部分が10分の1くらいで10分の9くらいは気分が悪くなるという、なかなか難しいところなんですけども。だからと言って私が学校の苦戦をよく分かっているとは限らないんですが、ほんとに学校で苦戦している子どもの援助で苦戦している先生やそれをサポートするいろいろな立場の専門家がこれからどうやったら学校がうまくいくのかというところを工夫する時期かなという気がします。

地域で子どもを支援する課題

 子育て支援っていうか地域コミュニティにおける子どもの支援が必要です。やはり行っている学校と相性の悪い子もいるし、スクールカウンセラーと相性の悪い子もいます。私は、非行傾向がある中学生や高校生にとって一番の援助者は、警察官と家庭裁判所調査官と児童相談所の先生と少年院の先生だと思うんですね。私はカウンセラーだから分かるんですけど、カウンセラーは強制的に子どもをつれてくることはできないですね。子どもがカウンセラーのところに来てくれてカウンセリングが成り立つんです。だから家庭裁判所の方とお話をしたり警察官の方とお話したりして、私何が羨ましいかというと、半強制的に面接の場面がつくれますよね。ちょっぴり強制力があってでも、その子ども達がこの大人は、そんなに悪いヤツではないし、少しは話聞いて付き合ってやろうと思ったら、人間関係が始まるわけです。カウンセラーも来たいときにいつでもどうぞといつも言うわけではないのですが、思春期の子ども達にとっては非常に弱い立場だなという気がします。ですから警察官や家裁や児童相談所の方が強制的にという意味ではありませんけど、そういうところの方々が広い意味での子育て、学校教育をどう援助していくかということは大きな課題だと思います。 そして同時に、地域に子ども支援の新しい受け皿が必要だと思います。私の仲間からの又聞きなんですけども東京のフリースクールかどこかで“不登校の子どもの会”というのができたそうです。親の会ではなくて。そこでは元不登校の先輩達が現不登校の中学生のところとかに家庭訪問をして学校との付き合いとか親との付き合い方をアドバイスしてくれるという素晴らしいシステムで、私は近いうちにそういう彼らとお友達になりたいなと思ってるんですけど。その会の代表の子ども(19歳くらい?)がですね、「学校に必ずしも行く必要がなくて行かなくても大丈夫だよ」って世の中は言うけども学校以外の受け皿はほとんどないじゃないか、学校以外の受け皿がないのに無責任なことを言うな」と言うんです。不登校を経験して今かなり成長した子が言った言葉っていうのはやはりズシンとくるなと思います。私は、子どもの発達を現実的に支援するために、学校でできることを明確にしながら、地域でも新しい受け皿を増やしていく必要性があると思います。

◇学校教育サービスの新しい動向

LDの支援

 学校教育の新しい動向についてお話しします。今日本の学校教育は本当に大きく変わってきていると思います。一つはLDの支援です。下司先生も日本LD学会の中心的な先生ですし、私もお仲間に入れていただいています。LDに限らず普通学級の中にいて担任の先生から援助にプラスαが必要な子どもとどう担任が付き合って、それをどう教育相談係や養護教諭や障害児教育の専門家が支えるか、という大きな学校教育の問いが問われていると思うんですね。そういった意味でLDという言葉が認知されていろいろな工夫が始まったということは心理教育的援助サービスにおける日本の大きな夜明けになると思います。ご案内のように今年の7月の最初に学習障害児等に関する援助の仕方について山口薫先生や上野一彦先生を中心とする委員会が答申を出しました。校内の支援チームや専門家チームでやりましょうと。これは学校心理学が大事にしているチーム援助ということの意義が認められてきたことです。 障害児教育を日本で受けているのは約1パーセント強です。知的な発達が遅れている子ども(知的障害の可能性がある子ども)は、いわゆる知能検査の得点で言うと、平均点より標準偏差2つ以下、70以下であり、統計的には約2パーセントいるんですね。ということは、知的に遅れてる子は普通学級の中にいるわけですね。つまり普通学級にはいろいろな課題を抱えている子どもがいます。普通学級での援助は健常な子どもへの援助というよりは、多種多様な子どもへの援助ということです。健常な子どももいろんなレベルの援助が必要な子どももたくさんいる、また健常な子どももいろいろな様々なニーズをそのときそのときで持っている多種多様な子どもがいるっていうのが普通学級じゃないかなと思います。だからさっき福沢先生が言われたような教科や授業に関する心理学がカウンセリングや援助とドッキングしないと、本当に子どもの辛さを理解するだけでは大げさですけどその場限りになるかもしれないんですね。相手の気持ちを理解することは大事です。第一歩です。でもそれだけでは不十分で、どうやったらこう授業の中で子どもが生き生きしてくるかっていうことが、もう本当に釈迦に説法だと思いますけど、大事だと思います。

養護学校の新しい役割

 今神奈川県でご一緒させてもらってるんですけど、盲学校・聾学校・養護学校で障害児教育、重い援助ニーズのある子どもの教育に携わっている先生方も大きな岐路に立ってらっしゃると思います。一つは文部省が言っているように個別指導計画、一人一人の子どもに応じた計画をつくる、計画っていうのは素手ではできませんから情報を集める、情報は一人では集められませんからチームで集めてそこで計画をつくる、そしてその計画に基づく教育、それからもう一つが盲・聾・養護学校が地域の普通学校などにいる障害児に対して行う支援です。このように障害児教育は本当に普通学級と今やっと一つになりかけてきたと思いますが、これらの活動は本当に障害の理解やチームのやり方の方法論やそれぞれの立場の先生の活かし方という学習を通して進めていかないといけません。お互いが勉強しながらだと思います。しかし大きな期待が持てると思います。

適応指導教室やスクールカウンセラーの活動

 適応指導教室は、私が見聞きするところでは、素晴らしい可能性を秘めたところです。学校とか学級とか勉強に対して傷ついた子どもの傷を癒しながら、友達づくりや勉強への習慣のいわばリハビリテーションをやっているところで、非常にレベルの高いサービスができるとこだと思いますね。すべてしているとは残念ながら言えません。まだまだ社会的認知が低いために専門家が理想的には配置されてはいないようです。でもとっても難しい仕事で、とっても大事な仕事だと思います。 次にスクールカウンセラーが平成7年度から文部省の調査研究委託事業で始まりました。これは私、日本で画期的だと思います。今まで文部省は生徒指導の手引きという教師が教育活動をやるということが中心でしたけども、外から人材を入れたということです。スクールカウンセラーの活動は、学校心理学に大きな示唆を与えると思います。しかし先程下司先生が言われたように「スクールカウンセラー」の「カウンセラー」はいいんだけども本当に「スクール(学校教育)」で役に立つかどうかに関しては、残念ながら多くのスクールカウンセラーの方が模索中です。下司先生はスクールカウンセラーでいらっしゃってモデル的な人なんですけれども、様々な方が自分のすでに持っている力に何かを足したりあるいは何かを引いたり抑えたりしながら現実に合わせる苦労をされているし、その苦労を私達もサポートしていかなきゃいけないのかなという気がします。しかしだからスクールカウンセラーに誰がなれるかというときに、臨床心理士が今中心ですけども、学校心理学をよく勉強した学校心理士とか、あるいは教育相談のリーダーの先生がスクールカウンセラー的な立場に立って今の難しい時代を引っ張るということも私は可能性の大きな一つだと思っております。従って学校の先生で学校心理士や臨床心理士をとられる方もいますが非常に重要な役割を持ってらっしゃるかなと思います。ただスクールカウンセラーをやっている人達の雇用体系は、非常勤でご存じのように週8時間、4時間2回とかそれをかけ持ちですから生活的にはとても報われない部分があります。本当に果たしてスクールカウンセラーという制度がどうできていくかは、楽観視は許せないと思います。今アメリカはクリニカルサイコロジストやスクールサイコロジストはたくさんいます。理由は簡単です。ある時期集中的にお金をかけたからですね。第1次世界大戦、第2次世界大戦の後、アメリカは、海外に戦争に行って心も身体もボロボロに傷ついて帰ってきた復員兵のサポートをめざして、国策としてクリニカルサイコロジストを育てたのです。サイコロジストになる人のプログラムは奨学金がよく出たそうです。そしてそのプログラムをどうしてつくったらいいかっていうのを全米のクリニカルサイコロジストのリーダー達が集まって何泊かかけて集会をやったんですね。お金とプログラムと集中的な話し合い、そのぐらいのことをやらないと新しい職業はできないと思います。これから日本でスクールカウンセラーのような職業がどのようにできていくのかについては、期待と課題と両方あります。でも大きな、期待できる動きであることは確かかだと思います。

学校心理士という資格

 さて資格という言葉が今乱立してさっき下司先生からもありまして、私もドキっとするところがないわけではないですが、今いろいろなところで資格を出してます。しかし一つだけ言えることは、どれも国家資格ではありません。逆に言えばどれも影響力がありますが、どれも決定的な力はありません。これは確かです。資格を持ってる人はそれですぐ仕事ができる保証もないし、持ってないからといって力がないわけではありません。ただし一つ言えることは、例えば「学校心理士」や「臨床心理士」は援助サービスの研修と経験が基準以上である程度の実践が期待できる人ですよという、一つの証拠にはなります。臨床心理士の方は臨床心理学というかカウンセリング的な援助の専門家ということの一つの証拠になるし、阪神淡路大震災をはじめいろいろご苦労があって信用を勝ち得てきていると思います。 学校心理士は、今年で3年目で約千人になりました。学校心理士はおおざっぱに言って3種類の方がなっています。1種類目はですね、学校現場の先生です。先程から言いましたように、日本の学校心理学に基づく援助サービスは、学校教育相談、保健室の養護教諭の活動、それから障害児教育、それから教育センターの相談活動などです。これらの、教育援助の専門的業務が5年以上ある方は受験資格があります。だから現場の先生でかつカウンセラー的な援助のご経験がある方です。もう1種類は、教職はないけれども、教育的な場面でカウンセリング的な援助を子どもに対して行える方。だから教育センターや児童相談所の子どもに関する援助の専門家で、教員ではないけれども子どもへの援助の経験の長い方。この分類に、スクールカウンセラーも含まれます。従って学校心理士が目指しているものは、従来の日本の学校心理学的なサービスの中心的な担い手である、学校教育相談や障害児教育の先生と、新しく学校に入ってきたスクールカウンセラーや教育相談所のカウンセラーの両方が取れて一緒につくっていくという資格です。そして1種類、これは大学の教官が入ってます。これからやはりこういう人達を育てていくためには大学、大学院のトレーニングシステムが非常に大事になってきまして、教育心理学やカウンセリングや臨床心理学等の教員中で、学校心理士を育てたいという人が、もちろんご自身も学校心理士の力がある人も学校心理士を育てる力がある人も含めてですけども、学校心理士の資格を取ってらっしゃいます。ですから学校心理士は現場の先生で教育相談、障害児教育の力のある人といわゆるスクールカウンセラーの力のある方とそれから大学の先生でトレーナーというこの3種類が一緒につくっているところが学校心理士の魅力であり、今千人になりました。どんどん増えております。

教育心理学(会)の変化

 学校心理士の資格審査のメインは、ケースレポートで、実際に援助したことを原稿用紙で20枚ぐらい、書くものです。私は、夏になるとケースレポートを100とか読むことになるので、大変勉強させていただいておりますが。ケースレポートを苦労して書かれているなという気がします。一方、援助サービスのすごい実践がすでにあるなという気がします。この学校心理士を認定しているのは、日本教育心理学会で先程の福沢先生はその中心的な方で、福沢先生も言われましたけども、日本教育心理学会では教育心理学の不毛性、教育心理学が現場の人に役に立ってないんじゃないかという反省が長くありまして、ずーっと長く反省してきたんですね。現在教育心理学の一つのキー概念が学校心理学です。やはり教育心理学で積み上げてきた議論や研究成果の中で現場に役に立つことはたくさんあるんです。でも実践に役にたつ研究が研究者仲間で受けがいいとは限らないんです。研究者に受けがすごくよくて現場に少し役に立つこともあるし、受けがまあまあで現場ですごく役に立つこともある、だから今まで教育心理学では、ピア・レビューと言って、研究者仲間で研究の審査しているんですけど、私はこれからコンシューマー・レビュー、消費者と言うか、本当に現場のことが分かっている先生も論文の審査に加わっていただくといいと思います。それこそ毎年、「現場で最も役立った論文賞」をつくってもいいんじゃないかと思ってるんですけど。数年前、福沢先生を中心に日本教育心理学会の総会を筑波でやったんですけど、本当に嬉しいことですが、あの年以降、教育心理学会で現場の先生の参加者が増えてきているように思います。非常に楽しい学会になってきておりますので、会員でない方は是非会員になっていただけたらと思いますが。学校の先生が来ない教育心理学会なんてほんとあまり魅力がないと思います。そういった意味で教育心理学会っていうか心理学会、そのものが今揺れてるんですね。問われているんです。どう現場に役に立つかという意味で。学校心理学はそういう背景の中で生まれてきたものです。この研究会で皆さんと一緒に実践研究をやったり勉強したことを、一緒に教育心理学会やカウンセリング学会や学校教育相談学会や心理臨床学会などで発表し、いろいろな方に伝えていくといいと思います。つまり、この研究会が、私たちが集まる一つのフォーラムであると同時に、いろいろなところに出かけていってもどってくる基地になればいいかなと思います。

◇心理教育的援助サービス:今日から明日へ

心理教育的援助サービス

 これは多分先生方や私達にとって当たり前なんですけれども、カウンセリングっていう領域で言うと、これは私への自戒も含めてそうなんですけど、子どもが情緒的に落ち着いて元気になってくれると嬉しいんですよ。私は自分でカウンセリングのカルテも書きますし、気付いたとき先輩のカルテも見ますけども、子どもが今日は安定している、落ち着いているということをよく書きます。子どもが情緒的に落ち着くことはいいことなんですけど、果たしてそれだけでいのか。その子の学校に対する姿勢や友達と関わるスキルや家族との関係や他のことを私達はもっと知りたいし、もっとできることがあるのです。ですから情緒的な援助は大事なんだけども、それを行いながら実践的なサービスをするということが大事かなという気がします。これは先生方にとっては当たり前のことでむしろカウンセラーにとってむしろ抵抗があって厳しいことかもしれません。 学校心理学では、一人ひとりの子どもの学習面、心理・社会面(自分や友だちとの付き合い)、どう生きていくかっていう進路面、それから学校心理学でカバーしきれませんけども養護教諭の先生と一緒に関わる健康面、こういう子どものトータルな面をどうチームで援助していくかという問いが中心にあります。つまり、学校心理学は心理教育的援助サービスをどう行うかに応えるために役立つ体系をめざしています。ここで、学習面や心理・社会面というのは子どもを理解する一つの側面であって、子どもの問題を細かく切るということではないんですね。子どもは一つの球というかボールだと思っていただければいいです。球の表面に見えている、学習面や心理・社会面から付き合っていこうということです。それから、心理教育的援助サービスが、クリニックのカウンセリングと違うところは、球の深いところへの援助がいつもいいとは限らないということです。その子のエネルギーやチーム援助の様子に応じて、その子にふさわしい、そしてその先生、カウンセラーや家族にふさわしい立場で、ふさわし援助をすればいいと思うんです。ややもすればカウンセリングは深くて長いのがいいという考えがありますけれども、学生相談で見ても、1対1の関係をつくるのが苦手なボーダーラインの学生さんなんか深く付き合おうとするとお互いが傷つくことがあります。浅くてもいいんです。ときどき来てくれてそれこそ今日死ぬのはやめようと言うと決心つけばいいんです。ですから学校では、限られた時間の中でその先生の立場を生かしてその子にとって有利な援助を確実にしていくことが大切です。つまり、学校心理学は、子どもの学習面、心理・社会面、進路面という外に見える生活の面から、子どもをサポートしていきます。そこで子どもにエネルギーがあり援助者といい関係ができたときに、援助者は子どもの世界に、じわじわと深く入れてもらえることもあるし、深く入ることでその子にとって人生の転機になることもあります。それはまたそれだけの能力が援助者にも必要とされて、臨床心理士やカウンセラーはそういうとこで力を発揮できるかもしれません。子どもとの深い関わりは一つの結果であるし、いつもそれをめざしていくのとはまた違うかもしれません。それがヒューマンサービスとしての教育活動を考える学校心理学です。従って学校心理学は学校教育とい教育活動にどこまでもこだわり大事にしますし、心理学を活用して子どもが有利になるようなサービスを大事にするというところが学校心理学の特徴です。

学校は変わろうとしている

 さてこれから、学校や心理教育的援助サービスはどうなるのでしょうか。これは、この会場にいる人々そしてその回りにいる、私達にかかってきていると思います。学校教育が大きく揺れ動いているということは、私達、学校で子どもに関わっている者、地域で子どもを支援する者、あるいは子ども支援をサポートする研究者が、学校教育を変えたり新しくつくるチャンスだと思います。ものすごく身近な話なんですけど、私10年前に日本に帰ってきて、教育相談や学校心理学、子どもへの援助を通して学校長の先生と話す機会があったときに、すごく多くの校長先生はカウンセラーや心理学の研究者をあまり相手にしてくださらなかったような気がします。まあ私がそれだけレベルが低かったからかもしれないんですけど。まあ学校はちゃんとやってるからまあ大丈夫よと言われました。しかし、数年前から校長先生からよくお電話をいただくようになりました。うちは教育相談がなかなか活発にならないけどどうやったらいいのか一緒に考えてよということになってきて、まあ少しずつカウンセラーや援助サービスというのを受け入れようというのが校長先生の中で増えてきた、もちろん教育相談の専門的なお力を持つ校長先生はここにもいらっしゃいますし、増えてきたという現状があると私の立場からすればそうです。最近もっと変わってきたっていうのは今度は学校長だけでなくて教育長とか教育委員会のそういうプログラムをつくる人がこの前も電話がかかってきましたけど、「今来年の予算を考えてるんだけどなんかいいアイデアはない?」。ありがたいです。そういうふうに、学校の先生だけでなく、管理職や教育行政の方も今すごく変わろうとされていると思います。今までよくなかったという無責任な批判ではなくて、どうやったら学校の先生が自分達で変わる工夫ができるか、あるいは周りにいる私達がほんの少しでもお手伝いできるかというと現実に考える時期だと思うんですね。 学校は社会の評価で損をしています。ではなぜ学校はこんなに損をしているのでしょうか。子どもたちがいろんな問題を学校で先生方に見せるんですね。家庭でうまくケアされてない子どももいる、勉強が苦手な子どももいる、いじめられてる子どもがいる、だから学校の先生は目撃者になるんですね。目撃者になって、そして学校の先生は子ども思いだし、責任感が強いから目撃者を超えてがんばっちゃうわけですよ。例えばある子どもが暴走族10人に囲まれて殴られているときに、ほっとけないからがんばっちゃうと余計傷ついちゃいますよね。だから目撃者として何ができるか、そして学校コミュニティで一緒にいる人間として何ができるか、目撃者としての活動力を高めるために学校外の何をうまく使うべきなのかみたいないわば、目撃者論というか目撃者心理学みたいなものも、これからは必要です。学校は子どもの問題の援助の主体であると同時に、問題の目撃者という立場を両方もつことを確認する必要があると思います。やはり学校の先生方の目撃者とボランティアと当たって砕けろ精神だけでは、ほんとに辛いのです。子どもを援助するシステムを、学校の先生が中心になって、周りの我々がサポーターになって、今ならつくれる時期にきてると思います。だから学校心理学が目指しているものは子どもへの援助を、教師や保護者が中心になり、カウンセラーが一緒になり、地域の援助資源、使えるものはたくさん使ってやるということなんです。なぜそうするかっていうと一人一人の子どもの援助ニーズに応じるサービスの充実であり、それに責任を持とうとするからです。

◇日本学校心理学研究会

 最後に学校心理学の研究会のねらいとお願いです。今日は、いろいろな立場の方がいらっしゃっています。それこそ見回す限り、学校の先生、教育相談所の先生、養護教諭の方、それからスクールカウンセラー、大学院生、児童相談所の方、家庭裁判所の方、教育行政の方、校長先生、保護者の方、教育委員会の方、もう漏れはないでしょうね。それから大学の教授、いわばカウンセラーや教員を育てる方々、ほんとたくさんの方々が来られています。 この研究会で学ぶことはちっちゃな技術をたくさんというよりも、私はこんな力を持ってるんだということに気づくことです。自分では気が付かないけど、他の方から障害児教育の先生の力でこういうところすごいですねって言ってもらう、教育相談をやってらっしゃる方が他の方から自分の力に気付かせてもらう、これは、エンパワーメント、その方が持っている力にその人が気付くということです。この会のねらいは「私達が持っている力に気付くこと、それからそれがどう役立てばいいのか、役立つためにチーム支援をどうすればいいのかというのを、一緒に探っていく」ことです。学校心理学は、一人ひとりの子どもの個性とニーズに応じた心理教育的援助サービスの体系です。心理教育的援助サービスはチーム援助で可能になります。私は学校心理学という本を出しましたが、それは学校心理学のたたき台にすぎません。日本には学校心理学の活動の歴史はあるんですけども、学校心理学のシステムやモデルはほんとに始まったところです。ぜひご一緒に、子どもの援助者としてのお互いの強さや味を発見しながら、学校心理学という新しいヒューマンサービスのシステムをつくっていきたいと思います。今日は北海道からも兵庫からも四国からもお忙しい中、日本学校心理学の設立総会に来てくださいましてありがとうございした。今日、私達の研究会は誕生しました。これからご一緒にやっていきましょう。どうもありがとうございました。